【怖いが愛情なんて!】
「こら~ どこへ行く」
そのおおきな声に足が止まり、思考が止まりました。
この出来事が、その後の人生で私の生活を性格に大きく影響したことには間違いがないと思います。
上司が、大きな声が、男性が、大きな権力者が怖い!日々怯えて暮らしてきた原点だったことを何年か前に知りました。
そして、それが父親の愛だった事も知りました。
その出来事が何歳の時かは記憶にありません。兄が小学生であったように思います。そして私は小学一年が保育園の年長生かでしょうか?
人の記憶は自分に都合の良いように湾曲されるので本当は何歳だったかは不明です。
ただ今は、それが真実か否かは問題でないのです。
学生時代・実社会では人に逆らいたくない。人の目が怖い・人からどう思われているか気になる・自分の意見を言えない・自分の意見を考えない・なるべく目立たないようにしたい。と生活してした。
しかし、話し方を知らない・人の行動観察ができない・その場の空気を読めないなどがあり、無意識から突然現れる表現に人を傷つけてしまったことが沢山あります。
子どもがかわいい事を表現するのに、当時はやっていたゲームの主人公に例える等です。
その方が何年か後にお会いし、あの時こんなに言われたと教えてくださったので気が付きました。
また、会話中全く関係のない話をして、会話の邪魔をして話が止まることはよくありました。
あの日は母親に怒られました。何を怒られたかも覚えていません。
多分母親が「出ていけ!」と言ったと思います。
その声と共に兄弟三人で家を飛び出した記憶は鮮明に残っています。
あの声が子どもの私を恐怖の世界に引きずっていきました。
注意を受けるとか、失敗するとかすると、行動と思考が止まります。
あの日父親に「こら~ どこへ行く」と言われ足が止まり、思考が止まったように。
あの日も母親が本気で私たちに出いって欲しいと思ったとは思えません。
一時の怒りの感情で発した言葉で、それを父親が止めてくれました。
母は子どもを怒り父親は母親に起こり(母親に直接言えないので子どもに怒ることで母親に伝えた)そして、必死で私たちを助けてくれたのです。
今、親としてどちらの行動も理解できます。
お父さん・お母さん私たち兄弟を育ててくれてありがとうございました。
なにも親孝行できませんでした。
ごめんなさい。
お母さん、私の花嫁姿見て欲しかった。一緒に買い物にいったり、食事したり、孫と遊んでもらったりしたかった。
おとうさん、耳が聞こえなくなり、片目を失って苦労かけましたね。一人で淋しかったね。
一緒に暮らしたかった。
孫たちも成人してそれぞれ頑張っている姿をお二人にい喜んで欲しかった。
ありがとう。
お二人の残してくれた暖かい愛を“怖いが愛”であったことをしっかり確認しました。
お二人に感謝の気持ちを届けます。
私の大切な両親へ
もし、自己理解が必要なかたはお申込みホームへお進みくださいm(__)m
感謝と共に💗濱崎福美